メテオラと修道院に関する歴史、由来、景観画像など観光情報をお届け

                   

首都アテネから遠いもののギリシアの観光スポットとして有名なメテオラ
奇岩群とその奇岩群の断崖絶壁に建てられた修道院群の景観が魅力的な観光地です。
そんなメテオラについて、歴史や修道院の情報、アテネからメテオラへの行き方、徒歩ルートでの詳細や美しい景観画像の数々などの観光情報をお届けします。

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メテオラの意味

メテオラは「メテオロス」というギリシア語に由来しています。

メテオロスの意味はギリシア語で「空中に浮いている」という形容詞です。

私は「メテオラ」と聞くと「隕石」をイメージするのですが、隕石を意味するギリシア語は『メテオロ』という名詞です。

このメテオロには「隕石」以外に、「空から落ちてきた物体」や「雨や風などの大気現象」という意味もあります。

メテオラの特徴的な景観である奇岩群は、6千万年前に海底で堆積した砂岩が隆起して雨風に浸食されて今の地形となったと言われています。

それは大昔、この地帯が湖だったことがわかっていることによる説なのですが、ギリシア神話にまつわる伝説もあります。

その伝説とは、オリンポス12神の最高神であるゼウスが怒り狂って天界から岩石を投げつけて、その岩石が残ったというもの。

下界に岩石を投げつけるほどゼウスが何を怒り狂っていたのかは謎ですが、メテオロの意味である「空から落ちてきた物体」がこの伝説を指し、「雨や風などの大気現象」というのが海底・湖隆起説を指し、見事に両方の意味を表しているなと思います。

メテオラの歴史

メテオラに最初に人が住み始めたのは9世紀頃。

何故人が住み始めたのかというと、俗世との生活・関わりを断ち切って人里離れた山奥で神に祈りを捧げ、瞑想に生きるのが目的だったと言います。

つまり、メテオラに住み始めた人というのは修道士ということですね。

現在のメテオラは奇岩群とその断崖絶壁に建てられた修道院群が有名ですが、最初に修道士が住み始めた9世紀頃はまだ修道院を形成することなく、奇岩群の洞穴や岩の裂け目に住み着いて単独で修行する修道士が主流でした。

メテオラに現在のような修道院群を形成され始めたのが14世紀。

きっかけは当時勢力を拡大していたセルビア王国がメテオラのあるテッサリア地方にまで領土を拡大していたことにあります。

それまで東ローマ帝国の修道院活動の中心地であったアトス山が、セルビア王国の領土拡大によりセルビア領となってしまいました。

その時のセルビア王国の王であったステファン・ウロシュ4世ドゥシャンはアトス山の修道院を保護し活動を奨励したのですが、アトス山の多くの修道士たちは戦乱を恐れてアトス山を出て、メテオラへとやってきたのです。

アトス山からやってきた修道士の中の一人アタナシオスが数人の修道士とともに、メテオラに最初の修道院メガロ・メテオロン修道院(メタモルフォシス修道院)を建設、メテオラに共同生活ができる修道院というシステムを導入し、確立しました。

メガロ・メテオロン修道院(メタモルフォシス修道院)の建設をきっかけに、その後メテオラにはいくつもの修道院が建設され、最盛期の15~16世紀にはその数は24にも達したといいます。

そしてメテオラは代々の国王の保護を受け、ギリシア正教の聖地として発展してきました。

しかし最盛期には24つもあった修道院ですが、現在では6つの修道院しか残っていません。

修道院の数が減少するにつれて修道院の数が減っていったのですが、現在はメテオラの修道院群に新たな問題も発生しています。

元々メテオラに人が住み始めたきっかけは、俗世との生活・関わりを断ち切るためでした。

ところが近年、メテオラの奇岩群や断崖絶壁に立つ修道院群の景観から観光地化が進み、俗世との生活・関わりを断ち切る目的が叶わなくなっているのです。

そのため、メテオラを離れ、アトス山に移り住む修道士が増加しているといいます。

アトス山から逃れてきた修道士によって発展を遂げてきたメテオラの修道院群ですが、観光地化によりメテオラから逃れてアトス山へ移るという逆の現象が生じてしまっているようです。

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アトス山とは?

近代ではメテオラからアトス山に逃れる修道士が増えているということですが、アトス山とは一体どんな山なのでしょうか。

まずアトス山とは、ハルキディキ半島の北の岬にある山で、ギリシア正教の聖地でもあります。

1988年に世界文化遺産に登録されている山でアトス山も観光スポットなのですが、メテオラに比べてとても閉鎖的な場所なのです。

というのも、外国人の入山には予約と許可証が必要であり、女性に至っては入山自体禁止されているのです。

さらに入山も原則3泊4日と決められています。

誰でも訪れることができ、滞在期間も自由に設定できるメテオラとは違い、アトス山の観光はとても制限されています。

観光はできるけれど、観光地化されてはいないということですね。

修道士からすると、メテオラに比べてアトス山の方が、俗世との生活・関わりを断ち切って人里離れた山奥で神に祈りを捧げ、瞑想に生きたいという目的を果たしやすいと言えるでしょう。

メテオラ観光ができる6つの修道院

現在も人が住んでいるメテオラの修道院は下記の6つです。

  • メガロ・メテオロン修道院(メタモルフォシス修道院)
  • ヴァルラーム修道院
  • アギア・トリアダ修道院
  • アギオス・ステファノス修道院
  • ルサヌ修道院
  • アギオス・ニコラオス修道院

6つの修道院全て実際に訪れて観光することができるのですが、修道院によって開館時間、閉館している曜日が異なります。

私が観光で訪れたときには6つのうち、2つの修道院が閉館していました。

うう…せっかく訪れたのにフルコンプできなくて残念…。

それはさておき、6つの修道院についてご紹介しますね。

まずメガロ・メテオロン修道院(メタモルフォシス修道院)。

この修道院はメテオラ最大の修道院で、14世紀にアトス山から逃れて来た修道士アタナシオスによって創建されました。

メタモルフォシスの名前でも呼ばれ、「救世主の変容」という意味があります。

ヴァルラーム修道院は16世紀に建てられました。

元々この場所には14世紀に隠修士ヴァルラームが住んでいたのですが、その跡地にセオファニスとネクタリオスという修道士の兄弟が修道院を建てました。

アギア・トリアダ修道院は至聖三者(キリスト教における三位一体の神)に捧げられた修道院で、15世紀に建てられております。

アギオス・ステファノス修道院は、女子修道院です。

メテオラにおいて修道士の活動が早くから見られた場所であり、12世紀末には隠修士イェレミアスがいた事が知られています。

14世紀半に共住の修道院として創建されました。

ルサヌ修道院はメガロ・メテオロン修道院(メタモルフォシス修道院)と同様、救世主変容を記念した修道院で16世紀中頃に創建された修道院です。

1950年以降は女子修道院となっています。

アギオス・ニコラオス修道院の創建は14世紀です。

メテオラの観光の拠点

メテオラの観光拠点となるのは、カランバカという小さな村です。

カランバカの村のすぐ後ろに、一面の特徴的な奇岩群がそびえたっています。

アテネからカランバカへの行き方は、バスか列車のどちらかです。

おすすめは列車。

理由は、アテネ~カランバカ間の直行があること、バスより料金が安いこと、バスより所要時間が1時間短いことの3つが挙げられます。

列車のデメリットはバスより本数が少ないことですが、そのデメリットを差し引いても、列車の方がメリットが大きいのでおすすめです。

列車だとアテネからカランバカまで4時間半~5時間ほどで到着します。

日帰りも可能ですが滞在時間が4時間にも満たない時間となってしまうので、時間に余裕があるなら1泊してじっくり観光するのがおすすめ。

私は14時過ぎのアテネ発の列車に乗ったのでカランバカに到着した時にはとっぷり日が暮れていました。

翌日丸1日メテオラ観光に費やしたかったため、カランバカのホテルで2泊しましたよ^^

メテオラの景色、修道院の画像

カランバカからメテオラへの交通手段はツアーを利用しない個人観光の場合、バス、タクシーチャーター、レンタルバイク、徒歩の4つ。

カランバカでバイクをレンタルするつもりであらかじめ日本で国際免許を取得していたのですが、結局徒歩で回りました。

というのも、原付スクーターのようなバイクをレンタルしようとしていたのですが、あったのは単車タイプのバイクのみ。

運転に自信がない私は「絶対無理ガクブル(((ノ)゚Д゚(ヽ))))ガクブル」ということで諦め、タクシーチャーターだと瞬殺でメテオラ観光終わるうえに、タクシーの運ちゃん待たせてると思うと気になってじっくり観光できないと思い、せっかくメテオラ観光にたっぷり丸1日取ってあるのだから徒歩で回ろうと決めました。

かなりじっくりゆっくりメテオラをぐるっと一周観光して、計6時間かかりました。

宿泊したホテルでチェックイン時におっちゃんからもらった観光用の地図と自分で持ってきた地球の歩き方で地図を見ながらの観光。

最初から最後までガチ徒歩観光をしている観光客は私以外に見かけませんでした。

そんな他の観光客ではまずやらないであろう全徒歩ルートでのメテオラ観光を堪能していただけるよう、徒歩ルートで撮影した順番にメテオラと修道院の景観画像をご紹介しますね^^

まとめ

メテオラ観光に関する情報をお届けいたしましたがいかがでしたでしょうか^^

カランバカの村に到着した時はとっぷり日が暮れていてよくわかりませんでしたが、翌日朝ホテルから出てみるとバックに広がる奇岩群を目の当たりにした時は「うおおおおお!!本とかテレビでしか見たことなかったメテオラが眼前に広がってるー!!(*゚∀゚*)ムッハー!!」と大興奮したものです。

修道院も素晴らしかった。

よくあんな場所に修道院を建てようと思ったなあと不思議に思います。

俗世から離れてやりたいことに没頭するなんて、究極の引きこもり…。なんて罰当たりなこと思ったら、どつき倒されるかな?(誰に?)

さて私がメテオラ観光した時は。途中雨がぽつぽつと降ってきたものの、大雨になることはなく、なんとか観光できました。

が、翌日アテネへ戻る時は雨が降ってしまいました。

帰るだけだったからよかったですけど、チェックアウトした後、列車の時間までかなりあったから、カランバカの村を散策できないのが残念でした。

しかも持っていたボストンバッグの取っ手がちょん切れるというハプニング…。

「ええ~!?もう勘弁してよぉ~(泣)」とブルーになったのも今ではいい思い出です^^

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