【世界の絶景画像】アンコールワットの歴史と観光を紹介するブログ

                   

一度は訪れてみたい観光地として大人気のアンコールワットですが、その歴史についてはご存知でしょうか。
歴史を知らなくても楽しめますが、歴史を知った上で観光すると、時代背景がわかり、より一層楽しむことができます。
またアンコールワットでしか見られない美しい景観画像もご紹介していますのでお楽しみいただければと思います。

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アンコールワットの概要

アンコールワットはアンコール遺跡群を代表する寺院で、カンボジア最大の観光地です。

2015年にはトリップアドバイザーの「旅行者の選ぶランドマークランキング」で1位となりました。

クメール語でアンコールは王都、ワットは寺院を意味し、アンコールワットとは『王都の寺院』という意味があります。

12世紀前半にヒンドゥー教の寺院として、当時の王であるスールヤヴァルマン二世により、およそ30年の歳月をかけて建設されました。

当初はヒンズー教の寺院として建てられたアンコールワットですが、王の死後は霊廟となり、14世紀には仏教寺院となりました。

本格的に世界的にアンコールワットが知られるようになったのは、1860年にフランス人博物学者であるアンリ・ムオが訪れてからです。

これまでも地元民はもちろん、海外からもアンコールワットを訪れる人はいて、その存在は知られていたのですが、アンリ・ムオの紀行文が1863年に雑誌に掲載されたことで、世界に広くアンコールワットのことが知られることになりました。

アンコールワットは、ひとつの建物がひとつの目的のために造られているという特徴があります。

アンコールワットの歴史

アンコールワットが造られたのはクメール王朝(アンコール朝)時代です。

クメール王朝(アンコール王朝)は9世紀初頭に成立し、アンコール周辺に都城を建設して王都としていました。

しかし、12世紀前半に即位したクメール王朝(アンコール王朝)第18代目の王スールヤヴァルマン二世が、それまでの都城から近い場所へ新しい王宮を建設し、その南に新しくヒンドゥー教寺院を建設しました。

このヒンドゥー教寺院こそがアンコールワットです。

新しくヒンドゥー教の寺院を建設したのは、これまでのクメール王朝(アンコール王朝)ではヒンドゥー教三大神の中でもシヴァ神が主流だったからです。

スールヤヴァルマン二世はヒンドゥー教三大神の中でもヴィシュヌ神を信奉していたため、ヴィシュヌ神に捧げるために新たに寺院を建設したのです。

ヒンドゥー教は、キリスト教、イスラム教に続いて世界で3番目に信者の多い宗教です。

ヒンドゥー教は三神一体で、中心となる3大神が存在します。

  • ブラフマー:創造の神
  • ヴィシュヌ:維持の神
  • シヴァ:破壊の神

スールヤヴァルマン二世は『破壊』ではなく、『維持』を信仰していたということですね。

スールヤヴァルマン二世がアンコールワットを建設した12世紀前半はクメール王朝(アンコール王朝)の最盛期の初期の頃です。

周囲の諸王国とも激しく交戦して領土を大きく拡張していました。

そのためスールヤヴァルマン二世は『破壊』よりも、永く繁栄させたいという気持ちから維持の神であるヴィシュヌ神を信仰していたのかもしれません。

アンコールワットはスールヤヴァルマン二世の在位中(1113年~1150年頃)におよそ30年かけて建設されました。

しかし当初はヒンドゥー教の寺院として建設されたのですが、スールヤヴァルマン二世が亡くなると、スールヤヴァルマン二世を埋葬した墳墓ともなりました。

これは死後に王と神が一体化するデーヴァ・ラジャ(神王)思想に基づくものであり、寺院は信仰の対象物とする以外にも、王が死後に住むための地上の楽園であることを意味していたからです。

スールヤヴァルマン二世の在位中に30年以上もの歳月をかけて建設されたアンコールワットですが、一部は未完成のままとなっていました。

13世紀後半のジャヤーヴァルマン8世の時代に改修作業が行われて、西の参道が建設されます。

クメール王朝(アンコール王朝)が滅亡した15世紀半頃には王都がアンコールからスレイ・サントーに遷ったため、アンコールワットもその存在を忘れ去られてしまいます。

しかし16世紀半頃になるとアユタヤ王朝に亡命していたアンチェン1世が王位を主張するためカンボジアに戻った時に、1546年から1564年にかけてアンコールワットの未完成部分であった第一回廊北面とその付近に彫刻を施しました。

アンチェン1世の孫のソター王がアンコールワットを仏教寺院へと改修し、本堂に安置されていたヴィシュヌ神を四体の仏像に置き換えました。

現在もアンコールワットは仏教寺院となっています。

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シェムリアップからアンコールワットへの行き方・アクセス

アンコールワット観光の拠点はシェムリアップという町です。

しかし、電車やバスなどの公共交通機関は存在しないため、宿泊先のホテルで車をチャーターするか、お店で自転車をレンタルするかなど、自分で足を確保する必要があります。

シェムリアップからアンコールワットまでの行き方・アクセスについては別記事で詳しくお伝えしているのでご覧いただければと思います。

上記画像をクリックしていただくと記事を読むことができます。

シェムリアップからアンコールワットへの行き方だけでなく、アンコールワットのチケットの購入方法についてもお伝えしています。

また、私がカンボジア一人旅をした2013年当時の運賃や失敗談なども踏まえてお伝えしているので、ぜひアンコールワット観光の前に一度目を通していただければと思います。

画像で見るアンコールワット観光

それでは私がカンボジア一人旅をして、たくさん収めたアンコールワットの写真の中からベストショットをピックアップしてご紹介しますね。

そもそも私がアンコールワットを訪れたいと思ったのは、この景色を見たかったからです。

そう!池に映る逆さアンコールワット!

見事な美しさ…。

これを写真に収められた時には感動してその場に佇んでしまいました…。

私がアンコールワットを訪れたときはご覧の通り快晴でしたので、他にも美しい写真がたくさん撮れました。

アンコールワットでしか見られない数々の美しい景観をお楽しみくださいね^^

まとめ

カンボジア最大の観光地アンコールワットの歴史と美しい景観画像の数々をご紹介いたしましたが楽しんでいただけましたでしょうか。

アンコールワットは寺院です。

当初はヒンドゥー教の寺院として建設されたものの、その後は王の霊廟、仏教の寺院と目的は変化していきました。

私がカンボジア一人旅で訪れたときには、歴史を知らずにただアンコールワットが見たい、逆さアンコールワットを写真に収めたいという気持ちだったのですが、それでもアンコールワットの佇む美しさ、カンボジアの自然の美しさに感動しました。

その感動は今回ご紹介した数々の景観画像で伝わったのではないかなと思います。

歴史を知らずに訪れても満足させてくれるアンコールワットですが、歴史を知った上で訪れると、視野が広がるのでより楽しんで観光できると思います。

私も今度は歴史を知っている状態で訪れたいと思います。

あなたも機会がありましたら、ぜひ一度はアンコールワットを観光してみて下さいね^^

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