デルフィはギリシャの首都アテネから日帰り観光できるおすすめスポット!
古代ギリシャの都市国家でありデルポイと呼ばれていた場所で、当時は世界の中心だと考えられていた場所でもあります。
そんなデルフィ観光前に知っておきたい歴史やギリシャ神話をご紹介します。
またデルフィの絶景写真も掲載しているのでぜひチェックして下さいね。
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デルフィ(デルポイ)遺跡の歴史
デルポイは古代ギリシャの都市国家(ポリス)であり、古代ギリシャにおいては世界のへそ(中心)として信じられていた聖地。
デルポイの現代名がデルフィです。
古代ギリシャ人たちは、地球は平らな円盤状の形をしており、自分たちの住んでいる国はその円盤の中央に位置していて、さらにその中心がデルフィ(デルポイ)の聖地であると信じ、大地のヘソと呼んでいました。
デルフィ(デルポイ)はかつて宗教の中心として栄え、アポロンの信託(神のお告げ)が行われていたギリシャ最古の信託所があった場所でもあります。
元々は紀元前12世紀頃から神を祀る場所として機能し、紀元前10世紀頃は、大地の女神ガイアと娘であるテミスの礼拝地でした。
アポロンの信託の起源となったギリシャ神話がありますのでご紹介しましょう。
オリンポス12神の最高神であるゼウスはとっても浮気性、同じくオリンポス12神で正妻のヘラは非常に嫉妬深く夫の浮気は絶対に許さないという性格の神でした。
そんな妻がいるにもかかわらず、ゼウスは女神レトに浮気をし、彼女は妊娠してしまいます。
激しく嫉妬したヘラはレトに出産の場所を与えないようにし、巨人ティテュオスにレトを襲うように仕向けました。
さらに、レトの子供によって命を奪われると予言された、デルフィの信託所の番人であった大蛇ピュトーンまでもが、レトを追い回します。
ゼウスは巨人ティテュオスを退治し、レトの出産場所としてエーゲ海に浮かんでいたディロス島を海上に引き上げました。
レトは無事、太陽神アポロンと女神アルテミスを出産します。
生後4日後、アポロンはデルフィ(デルポイ)へと向かい、母レトを追い回して苦しめた大蛇のピュトーンを矢で退治したのです。
それ以降アポロンはデルフィ(デルポイ)でピュトーンに代わって、巫女ピューティアの体を介し、信託を授けたと言います。
さて、アポロンによる信託の影響力は強く、個人はもとより、国家の指導者も国の大事を決定していたほど。
全盛期は紀元前6世紀頃で、その当時はギリシャ国内はもちろん、ギリシャ国外の黒海沿岸や植民地からも巡礼者が訪れていました。
そのためデルフィ(デルポイ)は奉納物や祈願料でうるおい、大いに繁栄したと言います。
アポロンの信託は、東ローマ帝国のテオドシウスによってデルフィ(デルポイ)が閉鎖される381年まで続けられました。
さて、アポロンの信託が行われていたアポロン神殿の入口には、神託を聞きに来た者に対する3つの格言が刻まれていたとされています。
その3つの格言とは…
- 汝自身を知れ
- 過剰の中の無(過ぎたるは及ばざるがごとし、多くを求めるな)
- 誓約と破滅は紙一重(無理な誓いはするな)
です。
この3つの格言の起源はアポロンと巡礼者が交わした言葉だと言いますが、後になって言葉の意味づけが行われ、格言になったようです。
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デルフィ(デルポイ)遺跡にまつわるギリシャ神話
デルフィ(デルポイ)の神託はすでにギリシア神話の中にも登場し、人々の運命を左右する役割を持っていたことがわかります。
デルフィ(デルポイ)の神託が登場する有名なギリシャ神話に、オイディプス王の伝説がありますのでご紹介しましょう。
テーバイの王であるライオスは、「自分の子に殺されるであろう」というデルフィ(デルポイ)の信託を受けました。
信託を恐れたテーバイ王は、生まれた息子の両足に釘を打ち、従者にキタイロンの山中に捨ててくるよう命じます。
しかし不憫に思った従者たちは、羊飼いたちに赤子を託し、羊飼いたちは子供を欲しがっていたコリントス王夫妻に赤子を渡しました。
コリントス王夫妻は傷ついた赤子の足見て、赤子を『オイディプス(腫れた足)』と名付けます。
コリントス王夫妻のもとですくすくと育ち成長したオイディプスは、他の者より秀でていたため、それを妬んだ者たちから、コリントス王夫妻の本当の子供ではないと言われました。
そんなはずはないと思ったものの、自分の出生に疑問を持ったオイディプスは、アポロンの信託を求めてデルフィ(デルポイ)へと訪れます。
受けたアポロンの信託は「父親を殺し、母親と交わる」という衝撃の内容でした。
ショックを受けたオイディプスはデルフィ(デルポイ)から戻る途中、デルフィ(デルポイ)へと向かう車に乗った老人と狭い山道で遭遇、道を譲る譲らないで口論となり、オイディプスは老人を殺してしまいました。
その老人こそ、オイディプスの実の父親であるライオスだったのです。
アポロンの信託の1つ目が実現してしまいましたが、コリントス王夫妻を実の両親だと信じるオイディプスは、信託が実現したことに気が付きません。
オイディプスは信託の実現を避けるため、コリントスには戻らず、テーバイへと向かっていました。
この頃ちょうどテーバイでは、怪物スフィンクスに手を焼いていました。
スフィンクスの出す謎に答えられないと、人々はみな殺されていったのです。
しかし、オイディプスは見事スフィンクスの出す謎を解いてスフィンクスを退治し、テーバイを救うこととなりました。
国を救ったオイディプスはテーバイの王として迎え入れられ、王妃イオカステと結婚します。
この王妃イオカステこそが彼の実の母親であり、信託が2つとも実現することとなってしまいました。
信託通り母子は交わり、子をもうけます。
ところがその後、羊飼いの証言で2人は真実を知ってしまうのです。
信託の実現を知ってしまった母イオカステは自害、オイディプスは自ら両目を潰し盲目となってしまいました。
画像で旅するデルフィ(デルポイ)遺跡
デルフィ(デルポイ)は中部ギリシャの中でもアテネから唯一日帰り出来る町。
アテネからバスで片道3時間ほどで訪れることができます。
私もアテネからバスで日帰り観光してきました。
その時に撮影したデルフィ(デルポイ)遺跡の写真の数々をご紹介しますね^^
デルフィ(デルポイ)遺跡はかなりの山の斜面にあります。
現代でもこのような山の斜面に巨大な石を使った神殿を建設することは難しいんだとか。
メテオラの修道院といい、古代ギリシャの技術力の高さが目の当たりにできます。
こちらがヘソ石。
一目見て「これがヘソの石か!!」とすぐわかりました^^
こちらはアテネ人の宝庫と呼ばれる建物。
アテネがマラトンの戦いでペルシア軍に勝利した感謝のしるしとしてアポロン神に捧げた宝庫なんだとか。
マラトンの戦いというのは紀元前490年にマラトンで、アテネ軍がペルシア王国の大軍を返り討ちにして勝利した戦いです。
さあ、こちらがデルフィ(デルポイ)遺跡で最も有名なアポロンの信託が行われたアポロン神殿。
ここで国を左右する重大な信託がなされたと思うと感慨深い…。
遺跡から見下ろした景色。
眼下には緑豊かな山が広がっています。
このアングルからのデルフィ(デルポイ)遺跡のショット↓
当時私が持って行った旅行ガイドブックに記載と全く同じアングルから撮影した写真です。
「うおおおお!!ガイドブックに載ってる場所と全く同じ景色を今自分が生で見ている!!」と大コーフンしたのを覚えています。(*´ー`*)
これは演劇祭が行われていた古代劇場。
ほとんど建物が崩壊していますが、こうしてみるとその崩壊後も歴史を感じて美しい光景です。
さて、デルフィ(デルポイ)遺跡から町へと向かう途中に、デルフィ博物館があります。
遺跡から出土した彫刻がたくさん展示されていて見ることができます。
デルフィ(デルポイ)遺跡との共通チケットで入場できるので、ぜひ訪れてみて下さいね^^
まとめ
古代ギリシャで世界の中心だと信じられていたデルフィ(デルポイ)遺跡に関する観光情報をお届けいたしましたが、いかがでしたか?
ちなみにご紹介したギリシャ神話『オイディプス王の伝説』でスフィンクスが道行く人に出した謎というのが「はじめは4本、のちに2本となり、最後には3本となるものは何か」というものです。
あなたはわかりますか?
私は頭が固いのでさっぱりわかりませんでした。
私がスフィンクスに出くわしていたら喰われてたな。
さて、デルフィ(デルポイ)遺跡はアテネから日帰り観光できる訪れやすいおすすめスポット。
遺跡はデルフィの町と近く、遺跡観光の後にゆっくりと町散策してみるのもいいですよ^^
同じくアテネから日帰り観光できるミケーネ遺跡もおすすめです。
上記画像をクリックしていただくと、私がミケーネ遺跡を観光したレポート記事を見ることができます。
「バスで乗り過ごしてミケーネ遺跡を通り過ぎてしまう」という異国の地でまさかの事態に陥ったハプニングなんかもご覧いただけますので、読んでいただければなと思います^^
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