【世界の絶景画像】アンコールトムとバイヨンの歴史と観光の魅力を紹介

                   

カンボジア最大の観光スポットといえばアンコールワットですが、アンコールトムも外せません。
アンコールトムには『クメールの微笑み』で有名な巨大な人面像のあるバイヨン寺院があります。
アンコールワットとはまた違った歴史があり、魅力もあります。
そんなアンコールトムとバイヨンの歴史、景観画像をご紹介しましょう。

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アンコールトムの概要

アンコール遺跡群の1つでアンコールワットの北に位置する城砦都市遺跡です。

アンコールワットの造営からおよそ半世紀後に建てられました。

門と城砦、寺院などから成る12世紀末の都市遺跡で、バイヨン寺院、南大門、象のテラスといった多くの遺跡が残っており、これらの遺跡を総称してアンコールトムと言います。

アンコールは王都、トムは大きいを意味し、アンコールトムは『大きな王都』を意味します。

その名の通り、アンコールトムの規模は一辺約3km、ほぼ正方形四方の京城であり、幅100mの堀と高さ8mの城壁で囲まれ、クメール時代最大の都城であったとされています。

アンコールトムは、12世紀後半にジャヤバルマン7世によって造営された仏教寺院などの建築群であり、王宮を中心にしたひとつの都市でありました。

その中央には世界の中心である山岳メール山を象徴するバイヨンと呼ばれる寺院があります。

アンコールトムの歴史

アンコールトムが造営されたのは、クメール王朝(アンコール王朝ともいう。802年頃~1431年頃)の時代です。

889年に即位したクメール王朝第4代君主であるヤショーヴァルマン1世は、現在の東バライとアンコールトムの南半分を含む地域にヤショダラプラを建設し、王都としました。

その後、別の場所に遷都されたため、ヤショダラプラはいったん放棄されてしまうのですが、944年に即位したラジェンドラヴァルマン2世が王都をアンコールに再建し、東バライの南にプレループ寺院を建設します。

1006年に即位したスールヤヴァルマン1世は、現在のアンコールトムとほぼ同じ位置に新王宮と護国寺院ピミアナカスを建て、西バライを建設しました。

そして1113年に即位したスールヤヴァルマン二世が新しくヒンドゥー教の寺院を建設します。

これがアンコールワットです。

アンコールワットの歴史についてはこちらの記事で詳しく解説していますので、ご覧いただければと思います。

アンコールワットを建設したスールヤヴァルマン二世が亡くなった後の1177年、クメール王朝(アンコール朝)はチャンパ王国(かつてベトナム中部沿岸地域に存在した国)の攻撃を受け、王都も一時的に占領されてしまいます。

このチャンパ軍を撃破したのがジャヤヴァルマン7世です。

1177年、ベトナムのチャンパ族により一時的に王都は陥落したのですが、ジャヤバルマン7世の指揮のもと4年後には奪還に成功。

チャンパ軍を撃破したジャヤヴァルマン7世は1181年に即位し、チャンパ軍の度重なる侵攻で荒れた国を復興させるために、仏教をシンボルにした堅固な都城を築いたのです。

その都城こそがアンコールトムです。

現存するアンコールトムは 13世紀初頭にジャヤバルマン7世により第4次の王国首都として造営されたものだといわれています。

神話を題材にしたアンコール・ワットとは異なり、アンコールトムには、貴族や庶民の暮らしを題材にとったものが多く見られるのが特徴です。

チャンパ軍との戦い、行軍の風景、野菜や肉が並ぶ市場、闘鶏に興ずる人々、仲むつまじい夫婦の情景など、歴史的資料としても大変貴重なものです。

ジャヤヴァルマン7世はクメール王朝(アンコール王朝)初の仏教徒の国王であり、クメール王朝(アンコール王朝)の最盛期の王でもあります。

ジャヤヴァルマン7世が王となって以後、彼はクメール王朝(アンコール王朝)に繁栄をもたらしました。

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アンコールトムにあるバイヨン寺院の概要

バイヨン寺院は須弥山(古代インドの世界観の中で中心にそびえる聖なる山)を象徴化し、城壁はヒマラヤの霊峰を、環濠は大洋を意味し、これらは王権の神格化と結び付いたクメール的宇宙観に基づくもので、アンコールトムの中央付近にあります。

クメール語の発音ではバヨンといい、バは美しい、ヨンは塔を意味し、「美しい塔」という意味があります。

あの有名な巨大な人面像があるのが、このバイヨン寺院です。

人面像はクメールの微笑み、バイヨンの微笑みとも呼ばれています。

『クメールの微笑み(またはバイヨンの微笑み)』は観世菩薩像を模しているというのが一般的な説ですが、戦士をあらわす葉飾り付きの冠を被っていることから、ジャヤヴァルマン7世を神格化して偶像化したものとする説もあります。

また21世紀に入ってからは、3次元CG化と解析によりヒンドゥー教の神々を表しているという説もあり、詳しくはまだわかっていません。

ジャヤヴァルマン7世はアンコールトムの造営者としてお伝えしましたが、アンコールトムの中心部にあるバイヨン寺院もまた、ジャヤヴァルマン7世が造営しました。

チャンパに対する戦勝を記念して12世紀末ごろから造営に着手したと考えられており、石の積み方や材質が違うことなどから、その後多くの王によって修復、増設されていったものであると推測されます。

実際、バイヨン寺院の建築には多くの時間が費やされ、ジャヤヴァルマン7世の代だけでは終わらずに、何代かに渡って造営されています。

当初は大乗仏教の寺院であったが、後にアンコール王朝にヒンドゥー教が流入すると、寺院全体がヒンドゥー化し、現在ではカンボジアのアンコール遺跡を形成するヒンドゥー・仏教混交の寺院跡となっています。

アンコールワットの壁画は宗教説話的な要素が強いですが、バイヨン寺院には庶民的なものが多く残されています。

壁画にはジャヤヴァルマン7世がトンレサップ湖上でチャンパと戦争をした時の場面などがありますが、当時の生活や市場の様子、樹木などの精緻な彫刻もあり、細かく彫られています。

さて、バイヨン寺院には2人の王妃のレリーフが残っています。

ジャヤヴァルマン7世には王妃が2人いたのです。

1人目の妻と結婚した時には戦争のまっただ中であり、ろくに結婚生活を送ることができませんでした。

そしてジャヤヴァルマン7世が即位して間もなく1人目の妻が亡くなってしまったのです。

その後、平和となった後に、亡くなった妻の姉妹と結婚しました。

バイヨン寺院に残る2人の王妃のレリーフには当時の状況が反映されていて、幸せな結婚生活を送れた2人目の王妃のレリーフの装飾は華やかとなっています。

シェムリアップからアンコールトム・バイヨンへの行き方

アンコールトムはシェムリアップの町からみて北西の位置にあり、これはシェムリアップの町からアンコールワットを見た方角と同じです。

シェムリアップから北西に約5kmにあるのがアンコールワット、約9kmにあるのがアンコールトムです。

そのため、シェムリアップの町からアンコールトムへの行き方・アクセスは、アンコールワットと同じです。

下記記事でシェムリアップの町からアンコールトムへの行き方を詳しくお伝えしていますので、ご覧いただければと思います。

アンコールワットとアンコールトムの距離も約2.5kmと近いので、効率よく観光できると思いますよ^^

画像で観光するアンコールトムとバイヨン

2013年11月、1週間私はカンボジア一人旅をしました。

その時に観光し撮影したアンコールトム、バイヨンの写真をご紹介します。

途中でスコールに見舞われてびちょびちょになったので、濡れている遺跡が見られますよ^^

まとめ

アンコールトムとアンコールトムの中心に位置する独特の宇宙観を持ったバイヨン寺院をご紹介しましたがいかがでしたでしょうか。

私が訪れた直後は晴れていたのですが、いきなり土砂降りのスコールに見舞われました。

全く雨対策をしていなかったので、バイヨンで雨宿りをしてスコールが過ぎ去るのを待った思い出がよみがえりました。

滞在中も何度かスコールに見舞われまして「雨が嫌だから雨季避けて乾季にしたのになんでよぅ!?Σ(゚Д゚)」とイラッとしたのも今ではいい思い出です^^

トゥクトゥク乗ってるときにもスコールに振られまして、その時には運転手のお兄ちゃんがトゥクトゥクにレインコートのようなものを積んでいたので、それを貸してくれました。

もしあなたもカンボジアを旅行されることがありましたら、レインコートは持って行った方がイイデスヨ!

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