何故滅亡した?ミケーネ文明の歴史と恐ろしくも悲しいギリシア神話とは

                   

かつてホメロスが『黄金に富むミケーネ』と伝えたミケーネとはどんな文明だったのでしょうか。
ミケーネ文明の発祥と滅亡までの歴史について詳しく解説してみました。
ギリシア神話はギリシア各地に存在しますが、ミケーネにまつわるギリシア神話もあります。
ミケーネに関するギリシア神話は悲しいストーリーなのですが、詳しくご紹介します。

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ミケーネ文明の歴史

エーゲ文明は古代ギリシアにおける最古の文明で、青銅器文化が栄えていたため青銅器文明とも言われます。

エーゲ文明の時代は紀元前26世紀~紀元前12世紀で、この時代に栄えた有名な文明が三大文明と言われる3つの文明あります。

それは、トロイア、クレタ(ミノア)、そしてミケーネ。

つまり、ミケーネ文明は古代ギリシア最古の文明であるエーゲ文明の中の一つです。

ミケーネ文明はエーゲ文明の後半~末期の紀元前16世紀~紀元前12世紀にギリシア本土ミケーネとティリンスを中心に栄えた文明で、バルカン半島を南下してきて住み着いたギリシア人が、クレタ(ミノア)文明を引き継いで築き上げました。

紀元前15世紀にクレタ(ミノア)との貿易を通じて文化や芸術を取り入れ、地中海との貿易によって発展します。

そしてついにはクレタ島に侵攻してクレタを征服し、クレタから東地中海一帯の支配権を奪ったと考えられています。

ミケーネの王は統治下の村などから農作物や家畜を税として納めさせる貢納王政をおこなっていました。

ミケーネ文明最盛期の紀元前14世紀~紀元前13世紀には、小アジア、シリア、トロイヤ、シチリア島など周辺諸国と貿易を行い、植民地もあったといいます。

しかし紀元前12世紀に、海の民(系統や実体は不明な東地中海で活動した民族)による侵攻を受け、ミケーネやティリンスが破壊され、文明も消滅してしまいました。

そしてミケーネ文明は忘れ去られ、ギリシアは暗黒時代に入っていったのです。

ミケーネ文明とクレタ(ミノア)文明は正反対?

同じエーゲ文明でありクレタ(ミノア)の文明を引き継いだミケーネ文明ですが、クレタ(ミノア)とは正反対の面もありました。

例えば海上貿易では、クレタは平和的でしたが、ミケーネでは奪略的な面があったり、陶器を見てもクレタ(ミノア)は生き生きとした動植物の絵が特徴的でしたが、ミケーネは模様が形式的で戦士や馬などが描かれ、武力国家であったことがわかります。

また、クレタ(ミノア)文明の建築は開放的でしたが、ミケーネ文明の建築は城壁で囲み閉鎖的でした。

これはクレタ(ミノア)文明とは違い、ミケーネ文明では外敵の脅威にさらされる可能性があったためであると考えられています。

平和と外敵からの脅威という違いが、クレタ(ミノア)とミケーネの文明に違いをもたらしたと言えるでしょう。

クレタ(ミノア)文明の最盛期に建築されたクノッソス宮殿についてご紹介している記事もあります。

クノッソス宮殿はあの有名なギリシア神話『怪物ミノタウロスの伝説』で牛頭人身のミノタウロスが閉じ込められた迷宮ラビュリントスのモデルとなった宮殿です。

上記画像をクリックすると詳しく知ることができますので、ぜひ読んでいただければと思います^^

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ミケーネ文明に関するギリシア神話

消滅し、歴史から忘れ去られていたミケーネ文明ですが、1876年にドイツの貿易商でもあり考古学者であったハインリッヒ・シュリーマンによりミケーネ遺跡が発掘されます。

このミケーネ遺跡の発掘は考古学と歴史学上で大事件となりました。

というのも、それまでは神話の世界と考えられていた出来事が歴史的事実であることが証明されてしまったからです。

神話の世界と考えられていた出来事とは何なのか。

ミケーネ遺跡に関するギリシア神話がありますので、ご紹介しましょう。

ギリシア神話では、ミケーネを造ったのはオリンポス12神の最高神であるゼウスとアルゴス(古代ギリシアの都市国家)の王女ダナエの息子ペルセウスで、彼の子孫がこの地を治めた後にアトレウス家に受け継がれたといいます。

アトレウスの死後、彼の次男であるアガメムノンがミケーネの王となり、全ギリシアをまとめあげました。

ギリシアの王たちを率いて戦ったためローマ時代には「王の中の王」と呼ばれましたが、その偉業以上に傲慢で非情、所有欲の強い人間だったそうです。

ある日、トロイアの王子パリスが、アガメムノンの弟でありスパルタの王であるメネラーオスの妻ヘレネを連れ去ってしまうという事件が起こりました。

怒ったアガメムノンは、掟を破って他者の妻を奪った報復のため、トロイヤへ戦争を仕掛けます。

…とはいえ、アガメムノン自身も従弟でリュディア(トルコの古代都市)の王タンタロスの妻だったクリュタイムネストラを、タンタロスを殺して奪ってマス。

自分のことは棚に上げて、アガメムノンは全ギリシアから志願者を募り、アガメムノンもギリシア軍の総指揮官として、トロイアに出陣しました。

しかし道中彼は女神アルテミスの聖域で彼女の聖獣である鹿を殺してしまい、女神の怒りに触れてしまったため、出征時に逆風が吹いて船出ができなくなってしまいます。

アガメムノンは長女であるイフィゲニアを犠牲にすれば女神アルテミスの怒りは静まるという信託を受けます。

そこでアガメムノンは妻クリュタイムネストラに、イフィゲニアに見合いをさせると偽り彼女を連れて来させて、クリュタイムネストラの目の前で殺害してしまいました。

クリュタイムネストラは夫の非情を許せず、アガメムノンへの憎悪を募らせます。

一方、長女を生贄としたことで無事トロイヤ戦争で勝利をおさめたアガメムノンは、トロイヤの王女カッサンドラを戦利品としてミケーネに持ち帰ってきました。

長女を殺したばかりか妾まで持って帰ってきたことにクリュタイムネストラの憎悪は増し、アガメムノンに対する殺意が強まることに。

そしてクリュタイムネストラはアガメムノンがトロイヤ戦争で出陣している間に親しくなった元夫タンタロスの弟アイギストスと結託して、アガメムノンがミケーネに戻ってきたその日にアガメムノンを殺害

父親が殺害されたことを知ったアガメムノンの次女エレクトラは、まだ幼い弟オレステスが復讐を恐れた母親に命を狙われるという危険を感じ、弟を密かに家臣に託します。

時は流れ8年後、成長したオレステスはアイギストスと自身の母親であるクリュタイムネストラを討ち、父親のかたき討ちを成功させたのでした。

肉親同士の憎悪と復讐の連鎖。

ミケーネにまつわるギリシア神話はなんとも哀しいお話ですね。

まとめ

ミケーネ文明の歴史とミケーネ文明に関するギリシア神話をご紹介しましたがいかがでしたか?

ミケーネ文明の遺跡はギリシア観光としてそんな有名な観光スポットでもなければ、ミケーネの町も全然観光地化していない田舎町。

それでも私はギリシア一人旅した時に、絶対に訪れたい場所の一つでした。

というのも、高校の時の世界史の授業で先生が「シュリーマンというおっさんは変わり者で、子供の頃に読んだ物語を大人になってもずーっと事実だと信じ、貿易商で成功して得た資金を使って事実だったことを証明した」という話が強烈すぎて、大人になってからも勉強したことの大半は忘れたのにシュリーマンのことだけはずーっと覚えていました。

で、ギリシア一人旅した時に「変わり者のおっさんシュリーマンが夢を叶えて事実だと証明したミケーネ遺跡に行ってみたい!」と思い、訪れました。

ミケーネ一人旅の経験を元にした記事を別記事にまとめてありますので、こちらもご覧ください。

ツアーではなく個人旅行で訪れようと検討されている方の参考になるんじゃないかなと思います。

ミケーネ遺跡への旅を画像で堪能できるように写真もたくさん掲載しておりますので、楽しんでくださいね^^

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